2014年8月28日木曜日

三度池上文庫 ~台湾には野球禁止の時代があった~

 晩安! 仙台台湾朋友会です。

竹田の池上文庫にはなぜか縁があり、ひと月の間に3回もお邪魔してしまいました。

さらに池上文庫のことに詳しくなれたので、紹介します。


左に見える建物が池上文庫で、

この建物はもともと、竹田駅から米を発送する会社の事務所でした。

奥に見えるのは、現在、竹田周辺の農家の様子などを展示した資料館になっていますが、

もともとは、お米の倉庫でした。

汽車での輸送は、汽車の積載容量いっぱいになるまで出さないそうで、

倉庫にお米を貯めて、いっぱいになったら出荷したそうです。

昔は池上文庫前の広場に線路が敷いてあって、

この倉庫へ汽車が入って積荷ができたそうです。



前回来たときは、何の資料館なのかよくわからずに見ていましたが、

この資料館は、李さん(故人)という郷土の写真家の業績を紹介するためのものだったのです。

その中で、竹田の客家文化や農村の生活、李さんが撮影した写真など、さまざまな展示があり、

大変興味深いです。「一眼レフ俱楽部」という写真愛好家の団体の写真展も開催されています。



奥のパネルに見えるのが写真家の李さん。竹田出身で屏東の農業学校を卒業後、内地で就業。

大東亜戦争中は、インドネシアで農業指導をしていたそうです。

戦後は竹田に戻ってきて、満州(台湾南部の町)で農業関係の仕事についていたそうです。

趣味の一眼レフは相当の腕前で、当時は一眼レフを使いこなせる人は珍しかったため、

竹田周辺で一眼レフを買った人は、皆、李さんと同じカメラを買い求めたという逸話があります。

手前のお二人は、案内してくださった池上文庫の方々です。

左の方の提案で、もともと倉庫だったこの建物が資料館に生まれ変わったのだとか。

李さんとは一眼レフ仲間だったそうです。




池上文庫前の広場の向かい側に廃屋があります。

ここはもともとは民間の精米所だったそうです。

当時は相当もうかっていたそうです。



奥の小屋の中にお風呂がありまして、

前回来た時はなんでこんなところにお風呂があるのかなと、不思議に思ったものです。

竹田駅の駅員の仕事はかなり長時間労働で、

最終列車が通過するまでは帰ることができなかったそうです。

そこで、駅員は駅の隣の宿舎に寝泊まりし、風呂場も作ったとか。

井戸から水を汲んで石の桶に入れると、

そこから樋を通って建物の中の浴槽に水が溜まる仕組みです。



現在おしゃれな喫茶店になっているこの建物が、かつての駅員宿舎です。

取り壊される予定だった旧竹田駅を守り、池上文庫を創設し、

ここまで素晴らしい文化園區を作った竹田の人々には、本当に頭が下がります。



最後に、池上文庫の方から伺った話を紹介します。

この方は戦後、竹田の小学校で教員になって、子どもたちに野球を指導していたそうです。

野球は最高の娯楽で、校庭で子どもたちを集めて野球をしていると、

どこからともなく町の人が集まってきて、大人も子どももみんなで野球に興じていたそうです。

そんな状況が一変させたのが白色テロ。戒厳令が敷かれると、当然集会は禁止になります。

ある日、みんなで楽しく野球をしていたところへ国民党軍がやってきて、

「集会は禁止だ! 日本の運動もただちに止めろ! 責任者を出せ!」と、

銃を突きつけられ脅されたそうです。

責任者だったこの方は、偶然出張でその場におらず、事なきを得たとか。

もしその場にいたら、国民党軍に連行されて帰ってこれなかったかも知れないとおっしゃっていました。

二二八事件・白色テロ、メチャクチャなことが平然と行われていた時代が、

台湾には確かにありました。

実際に歴史を体験している方がおっしゃる言葉には重みがあります。

スポーツや文化を楽しむことができるのは、平和があってのことなのですね。

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